分類事始

(フレッシュイア 2002年7月x日提出)


0.アブストラクト

TSFには構造があると考えられる。
TSFに見られる構造を考える上で、その問題は主に次の二つに分けられるだろう。

1) TSFに見られる構造とはどのようなものか。
2) どういう種類の異なる構造があるか。

我々がここで考える分類は、この二つの疑問に答える上での練習問題になるだろう。


1.「構造」とは?

「構造」とは何か。
それを言葉で簡単に表すのは難しい。
私がここで言っている「構造」とは、レヴィ=ストロースが提唱した「神話学」における「構造」である。
その他にも、言語学記号論文化人類学精神分析などにも、その「構造」が現れる。
そこに表れる「構造」を軸に思考する方法論は、「構造主義」と呼ばれている。

その「構造」とは何なのかをはっきりと明示する能力は私にはない。
その代わり、よく使われるたとえ話をここに上げておこう。

たとえば、食文化である。
日本人は米(ライス)を食す。
そこで、食文化は、米を食べる文化とそうでない文化という二つの文化に分類することができる。米という実体を食べるかどうかで、食文化を分けているわけだ。
しかし、その分類法では、穀物、肉、など食材の数だけ分類法が存在することになる。
米を食べるかどうか、肉を食べるかどうかなどで分類されるだろう。
もちろん、それはひとつの分類の方法論である。

構造主義では、どんな食材かで分類することはしない。
何か実体のあるもので分類するのではなく、どういう「構造」をもっているのかで分類すべきだ、というのが構造主義の主張の一つである(と思う)。
食文化の例で言えば、何かを主食にして、それを軸にして副食があるという食文化を多くの民族が持っている。
食文化というものは、もともとそういう主食があって副食があるという「構造」を持っているのだ、とするのが構造主義の考え方である。
(アメリカ型の食生活は、主食・副食という構造を持たない、ということができる。そこには別の構造があるのだ)

何を主食にするのかという実体的なものは、それぞれの集団で適宜決められたものである。
その集団の住む自然環境により、何を主食にするのかという実体は異なるものになる。
構造主義では、その実体自身は置き換え可能だとし、背後に存在する構造を実体よりも優先して考える。

実際の構造主義はもう少し複雑であるが、ほぼ二項対立という図式で理解することができる。
食文化の例で言えば、主食と副食という二項対立の図式に目を付けるのである。

こうしたものの見方をTSFに適用してみよう、というのがここでの目的である。


2.TSFの構造

TSFというジャンルをTSから分かつものは何かを考えてみよう。

それは、TS(ここではほぼ性転換の意)の方法が、現実に行われているような手術によるものか、それとも現実にはあり得ない方法によるものか、というものであった。

その分類方法は、実体的なものを軸にしているということがすぐに分かるだろう。

もちろんTSの手段という実体的な対象で分類することに意味はあるが、TSFというものを理解する上で有効な分類方法であるというようには私はあまり思わない。

別の言葉で言えば、なぜ我々がTSFというものに「萌える」のか、「萌える」小説を書くにはどうしたらいいのか、などを考える上で、実体的な分類の方法論ですませてしまっていては、TSFの進歩はありえないのではないかと思うのだ。


実際、手術による性転換を扱った小説の中であってもTSF的な「萌え」を感じることはある。
その逆に、現実ではあり得ない方法を使って性転換をしていても、手術による性転換と同じストーリー展開の小説を書くことは可能である。

我々は何に「萌えている」のであろうか?

TSFという別ジャンルを創始した以上、ただ単に性転換手術が生々しいから敬遠したという理由以外に、手術による性転換にはない独特の構造をTSFは持っているはずだと思う。

TSF的な構造はTSの手段とは別にあるのだ、というのが分類を始めるにあたる基本的な動機である。
さらなるTSFの発展のために、我々は、その構造を理解する必要がある。
TSFの構造を理解することは、TSFを多様化へと導くために必要な布石となるはずだ。

食文化の例で言えば、構造を理解しないで、米とパンのどちらが主食として優れているかなどと議論しても無益である。
米とパンは交換可能な実体なのである。


3.TSFの基本要素

TSFの構造を考える上でのとっかかりとして、次の基本要素を考える。

TSFの基本要素が登場人物が置かれたシチュエーションであるということは、多くの人が認めることだと思う。

最も単純な構造としての要素分類は、「なる」ことと「見る」ことの二つが適当であろう。
(それについては、ジョーカーさんの「肉体交換ちょっと前」、それと「闇の顛末」のあとがきを参照。また、「見る」要素の追求には「みすていくおーばー」などが理解の助けとなる)

しかし、「なる」と「見る」以外に、どのようにそのシチュエーションになったかという要素が重要である場合が多い。
そこで、「なってしまう」のと「されてしまう」のを、基本要素として採用する。
ある意味この二つは、「なる」と「見る」の楽しみがブレンドされているわけである。

さて、TSFの基本要素として、次の4つを我々は提唱する。
すなわち、「願望」「偶発」「強制」「鑑賞」である。
「願望」は「なる」の固有状態で、「鑑賞」は「見る」の固有状態である。

その四つの基本要素を適当な割合で配合することで、可能な要素(シチュエーション)を構成できると考えることにする。

以下、二つの基本要素のブレンドしたことにより作られる要素を列挙してみる。
たたき台にしていただきたい。
もちろん、3つの基本要素のブレンドもありうるし、基本要素の配位と混合率を変えることで要素を原理的に無数に作ることができる。
(ただし、それですべての要素を尽くせるかどうかは別問題)

「願望」

自らなることを望み、自らの意思でTSすることに喜びを感じる。
(TSFの場合、ほとんどフェチ的願望だと思う)

「願望」+「偶発」

なりたいという願望はあるが、自らの意思ではなくTSしてしまう。

「願望」+「強制」

マゾ? なりたいけど、不本意なTSとか?

「願望」+「鑑賞」

自らの意思でTSして、客観的に堪能する(あるいはされる)。



「偶発」

自らなろうとは思っていない。
偶発的にTSしてしまい、TS後は基本的に流れにまかせる。

「偶発」+「願望」

偶発的にTSした後、自分の体を堪能する。
(潜在意識として願望があったのだろう)

「偶発」+「強制」

偶発的にTSしてしまい、TS後の自分をいやがる。

「偶発」+「鑑賞」

偶発的にTS。対象を楽しむ。



「強制」

自らなろうとは思わない。
誰かの意思で強制的にTSされてしまう。
TS後の自分を拒絶する。

「強制」+「願望」

誰かの意思でTSされてしまうが、TS後の自分を楽しむ。

「強制」+「偶発」

誰かの意思でTSされてしまうが、
本人は(その意思に気が付かないなどで)状況に流されてしまう。

「強制」+「鑑賞」

強制的にTSされた自分を、客観的に見る。


「鑑賞」

自らなろうとは思わない。
TSした対象を見ることが楽しいという認識を持っている。

「鑑賞」+「願望」

TS後の自分を堪能している他者を鑑賞する。

「鑑賞」+「偶発」

偶発的に起こったTS後のドタバタを鑑賞する。

「鑑賞」+「強制」

強制的にTSされた対象を鑑賞する。

 



以上が、要素(シチュエーション)の例である。
TSFというストーリーはこれらの要素を配合して作られるというのが、ここでの基本的な考えである。

(*)注意しておくが、「願望小説」や「偶発小説」、「強制小説」といった実体的な対象が最初にあって、作品がそれに対応するかどうかを考えるのではない。
我々が見たいものはあくまでも対象の構造であり、この分類は構造をあぶりだす為の手段である。
そうはいっても、なかなかそれをマニュアル化して徹底することは難しいが。

とりあえずの目標は、この分類をコミュニケーションツールとして捉えてもらうことだ。
作品を味わうときに、なんらかの実体的な対象に対して「萌える」という現象は確かにある。
しかし、ひとまずその種の「萌え」については別にして、人によって好きな「構造」、好きでない「構造」があるはずだと私は思う。
その構造の違いというものに対して、一人一人が何らかの感触を得てもらおうというのがこの分類の目的の一つである。
また、作品の感想を書くときに、ただ「面白かった」というだけではなく、どういう要素があることが面白かったかというような、作者と読者のコミュニケーションとしての広がりをもてないかというような実験の側面もある。

いずれにしても、この「分類」が、さらなるTSF発展の一助になればこれに勝る喜びはない。